1967年に開業された浜崎外科胃腸科医院を引き継いで5年目となる林医院。懐かしさを感じさせる鉄筋の建物には、最新の検査機器が導入されている。一見クールな印象を与える院長の林先生だったがインタビューが始まると、次々と楽しい話が飛び出し、一気に場が和んだ。安心して何でも話せること、ただそれだけで患者の不安は軽減するのではないだろうか。林先生にだったら、楽しい気持ちで何でも話せてしまいそうな気がした。(取材日2007年5月9日)
―どのような少年時代でしたか?
通知表に「落ち着きがありません」と書かれてしまうような子どもでした。おしゃべりで、友達を笑わせるのが大好きな三枚目キャラでした。運動神経が鈍いことがコンプレックスで、その反動なのか、スポーツ漫画に夢中で、自分でもスポ根漫画を描いていて、将来は漫画家になりたいと思っていました。表紙だけは何作品分も描きましたが、肝心の本編は何とか2作品だけ描きました。画力には自信がありましたが、ストーリーをうまく作ることが出来ませんでしたし、親の反対もあり漫画家の道は断念しました。簡単に言ってしまうと、才能がなかったんですね。
―医師になったきっかけをお聞かせください。
皮膚科医であった父をはじめ、親族に医師が多かったことがきっかけのひとつです。しかし、医師とは、無口で真面目で威厳があるというイメージを抱いていたため、三枚目で人を楽しませることが大好きな、お笑い芸人タイプの自分には向いていないだろうと勝手に決め付けていました。いまいち踏み切れない気持ちでいるときに、父から「むしろ、おまえのようなタイプは医師向きだ」と言われたことで、気持ちが180度変わったように思います。実際に医師になってみて、父の言葉の意味が身に染みてわかるようになりました。医師という職業は、人と接することで初めて診療ができます。僕のように人と話すことが大好きな人間にはぴったりの仕事です。あるいは、20数年前と現在では医師の在り方が変わってきたせいもあるでしょう。父は先見の明があったのかもしれませんね。
―消化器内科を専門にされた理由をお聞かせください。
父が皮膚科医として小さな診療所をやっていましたので、いつかはその後を継ぎたいという気持ちを持っていました。皮膚科を知る前に、まずは基本である内科を学ぶつもりだったのが、気がつけば、皮膚科に移るタイミングを失ってしまい、消化器内科にどっぷりとハマっていました。一時期は父の診療所の代診を務めていたこともありますので、現在でも皮膚科を標榜し、皮膚科の診察を行っていますが、やはり専門は消化器内科ですね。僕が医師になったばかりの1988年は、C型肝炎ウィルスが発見されるという、医学界においての大きな出来事があり、肝臓が高い注目を浴びていた時期でした。当時の私もそのことをきっかけに肝臓に高い興味を持ち、消化器内科を専門にしたのです。さらに、同じ時期に伯父が、肝臓ガンになり、病気を解明したいという強い意志もあり、この道を進むことにしました。