あざみ野駅東口に面した階段を右手に上がるとすぐ、駅から1分という好立地にある「メンタルクリニック響」。
平成13年2月に開業し、現在は、あざみ野駅西口に「カウンセリングルーム泉」も構え、精神医療・心理カウンセリングの両面から患者さんのケアにあたられている院長、本津(ホンヅ)浩明院長にお話を伺いました。(取材日2006年9月14日)
―どんな学生時代を送られましたか?
中学・高校は陸上部に所属しました。短距離の選手でした。また、中学から旅行が好きで色々なところに出掛けました。見たことのない景色を探しに、緑溢れる山奥などに出掛けました。全く逆に、歴史のある大都会も好きです。勉強は教科によって、すごく偏りがありました。当時苦手だったのは、数学、物理、生物、化学。得意な科目は、国語、歴史、古文、漢文。好きな科目はよく勉強するが、嫌いな科目はまったく勉強しないようなタイプでした。ですから、大学受験の時には、先生に「文系に行け」と言われました(笑)。
―ドクターを志したキッカケは?
父が医師だったので、子供の頃から選択肢のひとつとして医師はありました。深夜でも急患の診察をする父の姿を見て、子供心に尊敬もしていました。中学時代、ハンセン氏病の施設へ見学に行って、青臭いけれども、病気差別に対する怒りが込上げ、医師という仕事の社会的な使命を痛感した記憶もあります。それにも関わらず、高校2年生ぐらいまでは医者にだけはならないと公言していました。今考えれば、規定路線に対する反発、周りの期待に対する反発ですね。父と同じ道を歩むだけでは、親を超えられないだろうという思いもありました。その後、姉が医学部に進学し、父の跡を継ぐことが決まり、好きな診療科目を選び、好きな場所で医療に従事できる未来が見えてきて、やっと医師になる志が固まりました。
―開業されるまでのキャリアを教えて下さい
東海大学を卒業した後、神奈川県の公務員として、港南区の県立精神医療センターに就職しました。その後、大学に一旦戻りますが、研究を続けながら、戸塚の精神科病院で医局長も務めました。その頃、医師としての壁にぶつかりました。大学病院では、不採算部門の見直し、例えば在院日数の短縮が始まり、医療がないがしろにされている気がしていました。一方で、精神科のみの小さな病院では、合併症を伴う病気の治療がままならないというジレンマ、また、重症の精神病ではない患者さん、例えば、職場での対人関係や家族関係で悩む患者さんに対応する余裕もない。
そんなモヤモヤを吹き飛ばしたくて旅行に出掛けた先が、カンボジアのアンコールワット遺跡でした。何百年も前という時代を思えば、考えられないくらい芸術的で素晴らしい建築物です。しかし、遺跡自体は、圧倒的な自然に飲み込まれている。時の流れの雄大さ、大自然の中ではぐくまれている人間を感じました。人間は自然を征服したように思っているけど、実際はお釈迦様の手の中にいる孫悟空のような存在なのだと気付きました。あの旅行で、僕の中の何かが吹っ切れました。日本に戻ってきてから、良い不動産物件との出会いもあって、1カ月ぐらいで開業を決めました。僕にとっての大きなターニングポイントでした。