長津田駅から歩いてしばらく、御幸通に面したマンションの1階にあるアイリス歯科。名の通り、アイリス(アヤメ)を模したマークが目印。広くゆったりとした診療スペースは、リラックスして診察を受けてほしいという心使いから。密室の圧迫感がなく、プライバシーを保つためにと、パーテーションの設置場所にもこだわったとか。院長の村瀬先生にお話をお伺いしました。
(取材日2007年1月31日)
―どんな子ども時代でしたか?
私は名古屋の近くで生まれ育ちました。普通のサラリーマンの家庭で、ごくありふれた少年時代だったと思います。友達と野球ばかりして過ごしていました。少年野球チームではなく、放課後にみんなで集まって野球ごっこに熱中していました。名古屋は中日ドラゴンズのお膝元だというのに、周囲の目も気にせずに阪神タイガースの大ファンでした。ちょうど大学受験の時の85年は21年ぶりの阪神タイガース優勝の時だったので、優勝を見届けてから受験勉強を開始しました。そんなスロースタートでよく合格できたなぁと思いますが、阪神戦が気になって勉強どころでありませんでしたね(笑)。
―歯には厳しいお母様だったとか?
母自身が虫歯で苦労していた経験からでしょうか、私や妹を虫歯にさせたくないという思いが強かったですね。勉強しなさいとは言わないのに「歯を磨きなさい」と厳しく言われて育ちました。お母さんは虫歯だらけで辛い思いをしたといつも聞かされていました。虫歯になるからと言って、お菓子もほどんど食べさせてくれませんでしたから、チョコレートを初めて口にしたのは7歳のとき。私が歯科医師になってから、母を診察してみたところ、特別虫歯が多いというわけではなかったんです。ちょっと拍子抜けしてしまいました。しかし、現在と違って昔の虫歯治療は痛みが伴うことが多かったはずですから、痛い思いを子どもにはさせたくないという親心なんでしょうね。
―お母様の影響で歯科医師を志したのですか?
母のおかげで虫歯はなかったのですが、噛み合わせが悪かったために、小学校の低学年の頃から歯列矯正治療に通っていました。反対咬合といって、いわゆる受け口の治療のために、学校を早退して、片道1時間かけて電車で通っていました。チンキャップというヘッドギアのような矯正装置をつけて、ずっと治療をがんばってきたのですが、中学生になったときに、主治医から治らないと言われてしまったんです。今まで時間もお金もかけてやってきたのになんで?という疑問から歯科医師を目指しました。その線で行くと、矯正専門医になるべきなのですが、私の大学(東北大学)では矯正科に進むと虫歯を治したり、入れ歯を作ったりという、いわゆる一般の歯科治療を学ぶ機会が激減してしまいます。矯正の授業で私の疑問は、ある程度解決していましたので卒業する頃には、矯正より一般の歯科治療の方に興味がシフトしていました。