長津田駅南口を出てすぐに見える、長津田クリニックビル5Fのなごや耳鼻咽喉科。駅近辺を一望できる広い待合室、その窓から見える街並みや、ホームを行き交う電車やバスなどを眺めていると、しばし時が経つのも忘れてしまいそうなくらい、ほっと心が和んだ。平成18年5月に開業したばかりのフレッシュな院内には、名古屋院長が今まで多くの経験を積んでたどり着いた、地域医療に対する熱い想いが詰め込まれているような気がする。これまでの経緯から医療方針に至るまで、興味深い話は尽きなかった。
(取材日2007年2月5日)
―小さな頃はどのようなお子さんだったんですか?
僕には小学生の子供がいるのですが、うちの子供と比べると、良い意味でも悪い意味でも、強い子供だったのかなと思いますね。学校が終われば町中でもたくさんの子供が遊んでいた時代で、まわりの子供を引っ張っていたような気がします。ガキ大将的な部分もあったんだと思いますね。
―その中で、お医者様になろうとしたのは?
叔父が、医師会長まで務めた九州の開業医だったんです。人間的に魅力のある人で、子供ながらにお医者さんがカッコ良く見えたんですね。一方、大学受験の頃は、建築家になりたいと思い始めた。どちらも憧れていましたから、理系という括りの中で、医学部も理工学部も、同じスタンスで目指していたんです。最終的に両方受かって進路を選択する時に、公立大学で合格した医学部に入りました。今でも、建築物に興味がありますよ。ここを開業するにあたっても、自分のイメージをお伝えする際に設計士さんを随分困らせたりしました(笑)。デザインの格好良さだけではなく、人の流れや治療の流れを考えて、患者さんが使いやすいような造りにしたかったんですよね。また、自分が高校時代に読んだ『マッシュ』という本にも影響を受けました。朝鮮戦争の頃の軍医さんの話で、映画にもなっているからそっちの方が有名かもしれないけど、ドタバタ喜劇でね。その続編の中に出てくるお医者さんがとても魅力的な人たちで、地域治療に対してものすごい情熱を持って貢献するんです。そういう話も、自分にとって刺激になりましたね。
―学生時代に夢中になっていたことは?
中学の頃は陸上部に入ったんですが、高校からは音楽に夢中になりました。ロックンロールです(笑)。レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなんかをコピーしていましたね。僕は小さな頃にピアノを習っていたので、バンドではキーボードをやっていました。今でも、私たち世代向けのロック雑誌を、胸をときめかせて買っていますよ(笑)。大学時代は、ヨット部に在籍していたのですが、夏は毎週末合宿なんですよ。当時は遊びたい盛りだったから、遊びも部活も中途半端になっていた自分にジレンマを感じて。世の中はバブルでへなへなしているし、嫌になっちゃって、大学4年から5年に上がる時、1年間大学を休んで、世界一周貧乏放浪旅行をしたんですよ。西回り世界一周で、香港スタート成田ゴール。バックパッカーってやつですね。