たまプラーザ駅から歩いて2分の山本皮フ科クリニック。開業したてのクリニック内は、川床のように水面に張り出したデッキや流れ落ちる水の壁など、クリニックとは思えない癒しの空間。キッズスペースも完備された待合室は、前向きに治療を受けられる環境を用意したいと言う院長の山本先生の言葉の表れのように感じた。素朴な疑問でも遠慮せずに聞いて欲しいという山本先生に、つい素朴な疑問を投げかけてしまった。そのひとつひとつに丁寧に答えてくださる姿が印象深かった。(取材日2007年4月5日)
―医師を志したきっかけをお聞かせください。
医師になろうと思ったのは、大学に進学してからのことです。最初は青山学院大学で経営の勉強をしていましたが、在学中に皮膚科と泌尿器科の診療所を自宅で開業していた父が他界しました。先に6歳上の兄が泌尿器科の医師になっていましたが、兄が診療所を継ぐのは現実的な話ではありませんでした。そこで小さな頃から慣れ親しんだ父の診療所を私が継がなくてはという強い思いに駆られ、卒業後に東海大学医学部に学士編入しました。
―2度目の大学生活はどのようなものでしたか?
サークル活動などの大学生活の楽しみは、1度目の大学生活で十分に楽しみましたので、東海大学に進んでからは勉強だけに打ち込むことができ、自分にとって人生の中で最も勉強した時期だとも言えます。このような環境を与えてもらったからには、勉強に励まなくてはならないという思いもありましたし、他の学生よりも幾分か歳を重ねている分、早く医師として一人前にならなくてはという焦りのようなものもあったように思います。また、東海大学では社会人経験者などを広く受け入れているので、さまざまなキャリアを持つ、幅広い年齢のクラスメートと出会えたことが、自分にとっての財産となっています。もちろん、1度目の学生生活が無駄だったなどという考えは毛頭なく、むしろ私にとってはなくてはならない学生生活でしたし、とても有意義なものでした。アメリカでは4年間の一般教養課程を経てから医学部に進み、計8年間の学生生活の後に医師として社会に羽ばたいていくと聞いていますから、決して自分では遠回りだとは思っていません。
―開業の際にたまプラーザを選ばれた理由は何ですか?
本来でしたら、父が開業していた新宿区の診療所を継ぐのが理想でしたが、さまざまな事情から叶うことができませんでした。2007年4月に開業しましたが、私としては、開業医として独立するのはもう少し先だろうと考えていました。偶然に高校時代の友人が、テナントとして入っているこのビルの設計を手がけたことから、この地での開業となりましたが、実を言えば、たまプラーザと多摩センターが混同しているような有り様でした。しかし、妙な先入観を持たなかったことが、かえって良かったように思っています。今では、私と同世代が多く住んでいる、たまプラーザの街が大好きですし、この地で開業できたことを誇りに思っています。