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駅周辺の再開発が急ピッチで行われ、にわかに活気づくたまプラーザ。お洒落な街のイメージがあふれているが、駅前通りから一本入った商店街は、意外にも下町のような雰囲気が残る。この地で開業して33年。たまプラーザの発展とともに、地域住人の健康を見守り続けてきた有本先生に話を伺った。
(取材日2006年12月11日)
病気にならなければお医者さんにはなっていなかった
―幼少の頃からお医者さんになろうと思っていたのですか?
ぜんぜん思っていませんでした。子供の頃は、第二次大戦の真っ只中だったので、あの頃の子供たちがみんなそうだったように私も「兵隊さんになって世の為、国の為に尽くしたい」と思っていました。職業としては飛行機の設計にも憧れていました。ものづくりが好きでしたから。
―ドクターを目指されたのはいつ頃でしょう?
終戦後、旧制高校に通っていた時、今で言えば大学3年生の時に重い肺結核を患ってしまいました。当時はまだ確立された治療方法がなく、結果的には肋骨を6本も取る手術をして一命を取り留めることができました。当時としては大手術だったと思います。多くの方が亡くなったのに、本当に運が良かったと感謝しています。
この経験が医師を目指すキッカケとなりました。肺結核にならなかったら医師にはなっていなかったでしょうから、不思議なものです。
手術後、この体では何か特別な技術を身につけない限り、一般企業への就職は難しいと考え、横浜市立大学医学部に再入学して正式に医師を目指しました。診療科目については、手術で助けられた経験から外科も考えましたが、体力的な問題も考慮し、最終的に小児科への道を選びました。
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