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勘違いからはじまった、膠原病への道。
―子供の頃は、どんな風に過ごされていたのですか?
生まれは甲府で、小学校に入学する前に、吉祥寺に引っ越しました。当時の様子は今と全く違いましてね。近所に小さな丘や川があって、よくザリガニをとって遊んでいました。その頃の将来の夢は、プロ野球選手だったかな。ちなみに中学校では水泳部、高校では合唱部に所属していました。中高一貫だったこともあり、学生時代は比較的のんびりと過ごしていたんですよ。高校の頃は自然科学の勉強が好きで、その延長で医学に興味を持ちました。
―膠原病リウマチ性疾患を専門にされたいきさつを教えてください。
そう、実はそれが大きな勘違いで選んでしまったんです(笑)。我々の時代は大学を卒業した後の2年間、内科一般研修といって内科の各部門をまわったんですね。循環器、消化器…その中のひとつに、膠原病の科があったんです。偉ぶっている教授が多い中で、膠原病の教授だけは、廊下で会うと「おっ斉藤君!」なんて声をかけてくれたんですよ。ある日、教授から「うちに来ないか?」と声をかけていただき、思わず嬉しくて即決してしまったんです。ところが実際に入ってみると教授は驚くほど厳しくて。といっても入った以上は抜けられない…。そんな経緯でこの道に進んだんです。でも、その選択を後悔したことは一度もありません。結局どんな分野に進んでも、その中に「自分のやるべきこと」というのがあると思うんです。
―それから開業に至るまでの経緯を教えてください。
内科一般研修を終えた後、昔の国立東京第二病院に2年ほど出張しました。それから再び母校の慶応義塾大学病院に戻って3年間、膠原病の臨床や研究をしたんですね。その後、アメリカのユタ州立大学に留学。膠原病の治療の際にはストロイドというホルモンの薬を使うこともあって、向こうでは内分泌の教室に入り、下垂体などの研究を中心に行いました。2年目を終えた頃に、教授から「そろそろ帰ってこい」と連絡が入ったんです。「どこに戻るんですか?」と聞くと「まだ決まっていないけど、戻って来い」という返事。当時の私は、「次の休日はドライブでグランドキャニオン、その次は…」なんてアメリカ生活を満喫している最中でしたから、まさに後ろ髪ひかれる思いでしたね。結局、帰国後は東邦大学の大橋病院にて26年ほど膠原病関連の疾患に携わる事となりました。そして2007年12月この診療所を開業しました。
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