


宮前区神木の静かな住宅街、宮崎台メディカルプラザにある八木整形外科クリニック。2008年5月に開業した診療所内は、新しさと清潔さを感じさせる。待合室は白とベージュを基調とした落ち着いた雰囲気で、広々としたリハビリ室には最新の機器が揃っている。体を動かすことが好きだという院長の八木先生は、さまざまなスポーツ暦の持ち主だ。自身が怪我に泣く経験をしてきたからこそ、患者さんの痛みや辛さが分かるという。(取材日2008年7月3日)
―いろいろなスポーツを経験されてきたそうですが‥‥
子供の頃から、体を動かすことが大好きで、いろんなスポーツを経験してきました。小学生の頃は野球、スキー、中学・高校ではバスケットボール、大学に入ってからはテニス、ゴルフ‥‥。楽しい思い出もたくさんありますが、怪我で辛い思いをしたこともあります。中学の時はバスケ部に所属していたのですが、最後の大事な大会の直前に足の親指を脱臼するケガして走れない状態になってしまいました。どうすることもできず、試合に出たいというはがゆい思いが募るばかりで。最後の試合だったので、痛いのを我慢して少しだけ試合に出してもらいましたが、痛かったことよりも悔しかったことが今でも忘れられませんね。大学時代はテニスに明け暮れていました。体育会のテニス部だったので練習はきつかったですね。ゴルフに興味を持ち始めたのも大学生の頃です。今でもたまにやりますが、なかなか練習する時間がなく上達できずにいます。最近は草野球ですね。高校時代の友人たちが主となってチームを作り、ユニフォームも揃えました。いいリフレッシュにもなるし、いろんな職種の友達が増えて、楽しませてもらっています。
―医師を目指したきっかけを教えてください。
祖母が内科医、父親が歯科医だったので、幼い頃から診療室に出入りしていて、医師という職業を身近に感じていました。小さい頃から、祖母、父親の姿を見て、「医師っていいな」と思う気持ちはありましたが、その時はまだ漠然としたものでした。本気で思うようになったのは中学の頃でしょうか。足のけがをしたときに非常に悔しい思いをして、それなら自分が治す立場になればいいと考えたのが、今にして思えばきっかけだったような気がします。スポーツ選手になりたいという思いもあったのですが、体が大きいほうではなかったから、子供の憧れのようなもので終わってしまいました。整形外科医となった今でも、治療、リハビリを通して「スポーツ」とつながっていることは嬉しいですね。
―整形外科の中でもご専門にされている治療部位はありますか?
整形外科を専門科目に選んだきっかけは、自分がスポーツ好きということもありましたが、自分の好きなスポーツ選手がケガでプレイができなくなったことも影響しているかもしれません。中学生の頃、当時ジャイアンツの主力だった選手のファンだったんです。試合中のアクシデントで膝の靭帯を損傷して、復帰は不可能と言われていましたが、2度の手術と1年以上のリハビリ生活を送り、みごと復帰を果たしました。でもやはり、完全に元通りとはいかず、怪我をする前のような活躍は見られませんでした。そんな姿がとても痛々しくて、「僕が治してあげたい、元通りにしてあげたい」と心底思ったものです。その時からですね、整形外科医になろうと考えたのは。整形外科医となって最初は怪我や病気を全般的に学んだのですが、次第に「膝」を専門とした勉強が中心になりました。膝の靭帯損傷などのスポーツ障害に対する手術や、高齢者の変形性膝関節症に対して人工関節に置換する手術などを中心に診療してきましたが、2つのJリーグのチームドクターが所属するスポーツ整形外科で有名な病院での診療経験や、大学病院での専門的な診療経験が現在の診療に生かされていると思います。大学院在籍中には、「軟骨はどのようにしてできるのか?」、「骨粗鬆症のメカニズム」などの研究をしましたが、このときに学んだことも診療にプラスになっていますね。