

甘いマスク、そして地元川崎の出身ということもあり、フロンターレでも人気の高い箕輪選手。今回はサッカー少年だった子供時代、そして地元への思いなどを中心にお話を伺いました。
PROFILE : 1976年生まれ。1999年にジュビロ磐田にてJリーガーとしての歩みをスタート。2000年に地元チームの川崎フロンターレに移籍、活躍を続ける大型DF。昨年は日本代表にも選出されるなど、今脂の乗り切ったプレーヤーの一人。
「もちろん、もう少し上に行けたかな、と反省する部分もあるんですが、J1復帰1年目としては、まずまずだったと思います。個人的にも日本代表に選ばれたりしたこともあり、自分なりに充実したシーズンを送れました。今期もさらに自分の力を高めていくチャレンジを続けていきたい。昨年はチームの中で個々が自分の力を高めることに腐心した年だったと思うのですが、今期はチームの目標であるタイトル獲得ということに、自分の目標も重なって、ある意味とてもシンプルに戦える気分。とても気持ちが充実しています」
「サッカーとの出会いは幼稚園の頃でした。親にすすめられて津田山FCに入ったのが最初のきっかけです。当時は“習い事”という感じが嫌で(笑)、子供なりに最初は気が進まない気持ちもあって。でも、友達も参加していることだし、続けているうちにどんどん楽しくなってきて。中学・高校時代も、あくまで遊びの延長ではあったものの、負けず嫌いだったので、もっとうまくなりたいとか、試合に勝ちたいとか、そういった気持ちで続けてこれたように思います」
「特に劇的なことはないんですよ。試合のときに友達と一緒に車でコートまで送ってもらったり、お弁当を用意して応援に来てくれたり。だけどね、今、改めてその時期のことを思い返すと、サッカーをやっている僕がいて、それを核とした当たり前のような日常が実は家族の絆になっていたんだなあって思うんですよ。僕自身も親になってみて、自分の親が作ってくれた環境に、今頃になって感謝しています。
今、僕が地元のチームでプレーすることによって、両親にとっても知り合いとのコミュニケーションに繋がっていたりする。そういった意味では、やっと少し親孝行ができたかな、という気持ちもあるんです」
▲ 子供たちには、とにかく楽しみながら自分のプレーを工夫すること、それを伝えたい
「やはりプロの世界は勝負も練習も過酷で、日々必死でした。そうした生活を続けていると、ときに一番大切な“サッカーの楽しさ”を見失いそうになる。そんなとき、車を飛ばして地元の高校のグラウンドに行き、後輩たちとボールを蹴っていたんです。そうすると“ああ、サッカーってやっぱり楽しいんだ”って心から思えるたんです。静岡からの車の往復は、確かに体は疲れるのだけれども、そういった精神的なリフレッシュが、心の疲れを癒してくれたんだと思います」
「昔からの知り合いが試合を応援しに来てくれたり、やはり育った街で皆にプレーを楽しんでもらえることは、とてもやりがいがあること。複数年契約を結んだのも、やはりそんな川崎への愛着心からという気持ちが大きいです。昔から川崎はなぜかプロスポーツが根付かないとも言われていたエリアだっただけに、そういったイメージを一新できたらという思いもあります」
「もう、地元も地元。子供のころ、まだ大きなビルもなくアーケードが続く街だった時期から、両親に連れられて食事や買い物に行ったりするのが溝の口でしたから。今も自宅が近いので、しょっちゅう出没しています。丸井をブラリとのぞいたり、ノクティの文教堂で本を選んだり。オカダヤさんをフラリとのぞいてみたり…」
「はい。女性のお客さんにまじっていろいろ物色しています(笑)。僕、古着の洋服やジーンズにペイントしたりとか、そういうことが好きなんですよ、実は(笑)。でもって、最後はノクティの1Fで食料品を買って帰るというコースです」
「どうでしょう。意外と溶け込んでしまっているかも。でも、先日も文教堂書店で本を見ていたら、家族連れの男の子に分かってしまったようで。でも、親御さんが配慮してくれて、そっとしておいてくださったんです。この地域の方々は、そういうさりげない配慮をしてくださる方がけっこう多いように思いますし、とても感謝しています」
「とにかくサッカーを楽しむこと、それが一番大切!型にはまらず、自分なりにいろいろ考えて、“あの子はこういうプレーをしていたから、僕はこういうやり方をしてみよう”と自分で考えて工夫することがとても大切だと思います。リフティング遊びでも何でもいいのでボールにたくさん触れて、ボールとの対話を楽しんでもらいたいですね」
Text : 手島早苗
Photo : 西山尚紀 / 川崎フロンターレ大堀優